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2014.06.03 北東北最大の軍事演習場の痕跡を訪ねる

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ざっくり言うとこんな内容

鰺ヶ沢に北東北最大の軍事演習場があった!

明治・大正時代の建造物がいまも現存

6月3日、わたしたちは鰺ヶ沢に現存するという『山田野演習場の痕跡』を探しにでかけました。

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※鰺ヶ沢二ツ森山から見る岩木山





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※廃校になった鳴沢小学校もレトロで風情がある





すこし迷いましたがそのうち二つを見つけることができました。ひとつは和開集落にある「トーチカ」です。トーチカとはロシア語で点を意味し、鉄筋コンクリート製の防御陣地を示す軍事用語です。

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トーチカ

※ルートがわかりづらいので参考に











二つ目は大正時代に建てられた木造兵舎です。築100年近くの木造建築が現存するのです!


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農作業中のおかあさんに声をかけると、「中に入っていいよ~♪」だそうです。


今は農業用倉庫に使われています




和開トーチカと九号兵舎の位置情報をGoogleマップで公開していますのでぜひ実際に見に行ってみてくださいね!

https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zPt7OM0U3zCY.kQ7Z3Wy84IR4








まとめ(評論)

鰺ヶ沢に北東北最大の軍事演習場があったとは驚きです。西北五9条の会の岩崎繁芳さんがまとめた資料によると、明治24年に陸軍一中隊がここを訪れたときから演習場として使われ始めたのだそうです。

演習用とはいえ、トーチカは戦争映画にもよく登場するもので迫力はすごいです。硫黄島に上陸を試みるアメリカ海兵隊を狙って日本兵が機関銃を撃ちまくっていたシーンが浮かびます。こんなものがいまの時代に残っているのですね!


九号兵舎は演習場の北端に位置し、ここでたくさんの兵士が訓練の毎日を過ごしたかと思うと、歴史的建造物がこうも忘れ去られていくのは惜しいと感じました。誤解を恐れず言えば、トーチカと共に観光名所にもなり得るのでは? いずれにせよ、今は平和利用されているということがなによりもうれしいですね。


ところで、軍が大規模に演習場として使っていた土地も、状況が変われば耕作地にもどるのであれば、日本最大の砂丘である猿ケ森砂丘とて、いつかは青森県が誇る観光名所となる日もやってくるかもしれません。


機会があれば鰺ヶ沢の歴史を研究している岩崎氏にインタビューしたいと思います。

記事=小山内頼人

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2013.10.27 青森県に日本最大の砂丘!? 防衛庁猿ヶ森射爆場を鳥瞰する







青森県東通村に、鳥取砂丘を越える日本一の規模の砂丘があることを知っている青森県民は少ない...
記事=三浦協子

キャプチャ_convert_20131028202117
東西の17キロ、幅約4キロ、日本最大の猿ヶ森砂丘は、昭和34年から防衛庁の実弾弾道試験場とされ、立ち入り禁止区域となっているからである。青森県の太平洋岸には、三沢から尻労にかけて、防衛庁の射爆場が3つ連なっている。この全てが立ち入り禁止なのに加え、当初原発を10基作る計画を持っていた東通原発の敷地が連なるので、青森県の太平洋岸は三沢から以北はほとんど入れないものと思ったほうが良い。立ち入りができないので、るるぶなどの観光ガイドブックや市町村の観光マップなどにも全く記載がない。特別な関心を持たない限り、気がつきようもないのである。







わたし自身、猿ヶ森砂丘が日本一の砂丘であることを知ったのはつい最近である。昨年夏東通を訪れ、尻労の端から砂丘を遠望しその美しさに息を呑んだ。このあたりの地盤は石灰を多く含んでいるそうだが、そのせいなのか砂の色が白いため海がさんご礁の海のように緑色に透き通って見える。打ち寄せる波頭はどこまでも一直線に並んで白く、波は緑、空は青く、浜辺近くまで松ノ木が茂り、さながらこの世の楽園かと思われるようだった。立ち入り禁止は、機密保持のためというよりは、実弾が飛び交う他に不発弾なども出るため、本当に危険区域なので立ち入るなとしているものと思われる。防衛庁の広報誌「東北のかなめ」によると、現在も年間200日に及ぶ実弾弾道試験を行なっている。



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尻労の集落の端からでは、ほんの一部分しか見えない。その一部分だけでも、信じられないほど美しい。このような美しい自然、日本一の自然が、防衛庁に占有されていて、我々県民は、そこに入ることはおろか、その景色を見ることからすら遠ざけられている。これは重大な権利侵害ではないだろうか。一体、射爆場では何が行なわれているのだろうか。猿ヶ森砂丘の全容を、なんとかして見ることはできないものかと知恵を絞った。入れないのなら空から見よう。付近の山で登山道の記載のある山をことごとく探した。

掲載した地図は国土地理院の2万5千分の片崎山の地図である。ご覧の通り、登山道は途中で切れている。東通町役場に問い合わせたところ、『林道はあるが頂上付近にあるツツジの盗掘が酷いため閉鎖している、登山道は手入れもされておらずわからないでしょう』とのことだった。我々は、できるだけ多くの方に猿ヶ森砂丘を見てもらえたらという可能性を最後まで追求したいと考え、まず行けるところまで林道を行ってみることにした。そして、もしダメなら引き返して登山道をコンパスを頼りに山頂まで登ろうという計画を立てた。地図は正確なので、ブッシュがかなり酷くてもいけるだろうと予測し準備した。






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東奥日報が1997年に「あおもりの110山」という特集を組んでいる。その中に片崎山も取り上げられていて、『頂上からは砂丘が「圧倒的な迫力で眼前にせまってくる』と記載されている。記事が正しければ、頂上付近に眺望があることになる。しかし、16年も前の記事では、現在は、山頂は低木に覆われてしまい眺望がきかないかもしれない。勤労者山岳会に問い合わせたが、近年は誰も登ったという人はない。
とにかく実際に行ってみなければわからない。
 
東通役場が言っていた通り、林道の入り口のゲートは閉められていた。林道といっても、写真のとおり舗装されている。雑草に覆われた荒れた道を想像していた我々には、予想外の驚きだった。こんなに林道が整備されているとは。林道の途中にはマンホールもあった。水を汲み上げるポンプ施設もあった。 このような立派な道をなぜ作ったのだろう。そして、なぜ使わないのか?林道を進んだ先は牧場で牛がいて囲いがなされていたので、そこから先入るのはやめ、登山道に戻って山頂を目指す。





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登山道は・・・。やはり、なかった・・・。
コンパスとGPSを頼りに、1時間半ほど薮こぎする。中間部分は、林野庁が刈り払いをしたあとがある。でも、潅木の切り跡が鋭いので危ない上、山頂手前500mくらいは全く手付かずである。せっかく刈り払いをしてくれるなら、ぜひ頂上までやってほしいという思いがあるが、林野庁には、このような辺地の雑木山林の登山道にまで手をかける余裕はないのであろう。とにかく酷いやぶだった。最も酷かったところは、それどころではなかったので写真はない。






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そしてこれが片崎山の山頂の標識である。頂上の標識からいくらか右にまきながら断崖になっている海側の突端の方に進むと、突然眼前に圧倒的な景色が広がった。







山頂の眺望は絶景だ。

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砂丘をずっとはずれまで見渡すことができる。砂丘も太平洋も地平線のかなたまで広がっている。海が太陽の光を受けて光っている。 興奮して、何枚同じような写真を撮ったかわからない。
ヘリコプターが1台飛んでいた。今日は日曜であるから、射爆訓練はないのであろう。 砂丘に沿うように道路が見えている。最初我々は最初県道と見間違ったが、この道は防衛庁の敷地の中の道路で県道からは見えない。
中ほどに写っている塔のようなものも観光用の看板かと思ったが、これは防衛庁の施設の一部である。

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↑クリックして拡大してください!




この付近には、大沼の他長沼、タカ沼、タテ沼、姉沼、妹沼と5つの沼がある。大沼のほとりに白いボートが写っているのがわかるだろうか。我々は下山して、大沼のほとりまで行ってみることにした。下山も、なかなか大変な薮こぎが続く。




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大沼は文字通り大きな沼で、湖面は静か。






登山靴と読図の力と普通の体力があれば、誰でも片崎山には登れる。あの景色を自分の目で見れば、国家が防衛の名のもとに国民から取り上げている自然遺産の壮大な大きさが実感できるだろう。
県民の財産である風景を県民の手に取りかえそう。
 防衛庁が昭和34年に猿ヶ森砂丘を買収した、という記載のある資料をみつけた。
防衛庁は当に買ったのか?青森県は許可したのか?青森県に「猿ヶ森砂丘買収に関わる一切の資料」という情報開示請求をはじめるところから再スタートを切る。

記事:三浦協子
写真:竹浪純

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2013.10.22 三沢基地の騒音被害で集団移転した集落跡を訪ねる

日本は、世界で最も多くの外国の軍事基地が駐留する国です。あなたは知っていましたか? 青森県にも、米軍基地があります。米軍三沢基地です。基地と共存することにはかならず代償がつきまといます。

米軍基地の滑走路の延長線上にあった四目川地区もその一つです。かつて数百戸あった集落は基地の騒音から逃れるため集団移転しました。当時どんな状況だったのかが克明に記された石碑があります。








三沢基地の代償+012_convert_20131023004301
「永劫の里」碑文
四川目移転に題す
 
大地と天の恵みを受け、風雪と闘い、疫病、津波等の天災地変の脅威を乗り越え、繁栄してきた四川目の人々。幾多の辛苦を克服し、汗と涙を両手に地をにじませて築いたくらしを、築いては壊され壊されては築き、栄枯盛衰を繰り返した先人達。

江戸時代・文化七年、木崎野絵図には四川目五軒あり、文化文政の集落開村の主(開祖)小比類巻為左衛門氏、地引き網を建てて二代目嘉七氏に引き継ぐ。同氏豊作大漁祈願、集落安泰のため明治十二年(一八七九年)旧正月十八日四国琴平金刀比羅宮に参詣し、御神体を戴いて四川目に初めて金刀比羅神社を造営した。屋号「ヤマイチ」五代をはじめ連綿として続いた四川目。

南部藩政時代、木崎野牧の一区画であると共に、黒潮に乗ってくる鰮の良い漁場であった。岩手県北部・八戸地方より、この漁場の地引網引き子として季節出稼に来た先人達が住み着いたのが四川目の始まりである。その漁法、腕前がかわれ、明治、大正、昭和の時代、北海道鰊 漁、ロシア領カムチャッカ等において、鮭鱒漁場等で活躍、南部ヤン衆ここにありといわれ、年間数百人が雇われた四川目の男達。

さらに第二次大戦後の混乱期を乗り越え、農漁村として発展した住みよい豊かな四川目。この集落も大戦の終結以後、三沢飛行場に米軍空軍の進駐駐留、我国航空自衛隊の駐在により、頭上を飛行する各種離着陸の騒音に悩まされ、昭和五十四年九月五日及び同六十三年十月三十一日第二種騒音地区に指定となる。轟音と共に軍用機の墜落、爆弾、燃料タンクの誤投下、さらに昭和六十年よりF十六戦闘爆撃機五十機の配備、空母艦載機の夜間訓練(タッチ・アンド・ゴウ)による昼夜の区別なく騒音激化。実に言語に絶する。

この状況から住民の生命財産を守るため、そのつど三沢市を通し日本政府、米国空軍当局に飛行中止等抗議してきた。しかし、昭和五十四年より騒音等に耐えかね、四川目外に移転者が出始め、百五十有余年、一世紀余り続いた町内の人々が散り散りばらばら離散する恐れがあり、役員一同苦慮す。

再三の協議より、昭和六十二年五月二日町内全戸全員の総意により、集団移転やむを得ないと決定。市、区に種々陳情交渉の結果、種々屈折があったが三沢市長鈴木重令氏はじめ関係機関の理解がえられ、住家、宅地等が国の補償により昭和六十三年第一次四カ年八十七戸、平成四年第二次五カ年百五十九戸、計二百四十六戸、市内大津地区に集団移転することに決定された。

国土防衛のため、精鋭軍用機が配備され益々騒音激化し、住民の保護安住のため、断腸の思いで祖先の眠る霊園と鎮守の森産土様(金刀比羅神社)を残し、先人の労苦を偲び、感謝の念を捧げ、苦難哀楽の道を歩んだ四川目を去る集団移転二百四十六戸、各々の都合により市内外に個人移転の百二十六戸、町名変更により他町内に編入された六戸、計三百七十八戸千六百十七名と共に平成九年三月移転完了するにあたり、寝食を忘れ御尽力下された方々に謝念を捧げ、新天地にて共に栄えることを願い、移転者各々が悲喜交々の願い事をし、ある時は大漁旗をなびかせた往時の思い出の地として残した四川目住民の信仰の地、鎮守の森に碑を建立す。
 そして、この事実を子子孫孫に伝える。

大沢武雄撰
平成六年十一月吉日
四川目町内会建立 町内会長 坂岡定松







三沢基地の代償+001_convert_20131023004315
三沢基地の周辺にはごらんの立て看板と、東北防衛局が管理する広大な移転跡の空き地がいたるところに広がる。米軍基地の軍備拡大に伴い騒音は拡大、移転住居も増えた。







まとめ
沖縄の米軍基地の問題はよく目にするけれど、青森県の三沢基地にはどんな歴史があるのかとずっと考えていました。ごく最近この碑文のことを知り、実際に見に行きました。基地との共存にはどこであろうとかならず代償がつきまとうのだと改めて気づかされました。
記事=小山内頼人

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2012.11.13 「オスプレイの日本配備と青森県の軍事基地」東奥日報社・斉藤光政氏講演

戦争いやだ!憲法守れ!中弘南黒の会の第11回総会で行われた記念講演として、地元シェアNo.1の新聞社・東奥日報社に勤務する斉藤光政氏が講演しました。斉藤氏は東奥日報紙に連載を持つ他、青森県が旧陸軍の毒ガス実験場であったという特集も組んでいる敏腕記者でルポライターの鎌田慧さんとも親しく、共著で著書も書かれています。

演題は「オスプレイの日本配備と青森県の軍事基地」。青森県は原子力施設の総本山であることはみなさんご存知だと思いますが、軍事基地としても非常に重要な役割を持つのです。




※要約※
例え誤報を放っても謝罪しないことで有名な天下の朝日新聞が橋下徹に謝罪した。橋下をヒトラーに例える人が何人もいる。今の日本はヒトラーが生まれたドイツと似ていると。日本国憲法は世界で最も進んだ憲法だが、当時のワイマール憲法も進んでいた。が、国民は進んだ憲法を理解できず目の前の社会不安しか見ていなかった。そこに生まれたのがヒトラー。ヒトラーは合法に選挙で国民に選ばれた。だからこそドイツは戦後ナチスを徹底的に検証している。歴史をまったく検証しないのが日本。

橋下は非核三原則の持ち込ませずについて考える必要があると言った。でもそれは誰もが目を背ける現実だ。非核三原則はすでに破られている。橋下もそうだし石原・自民党・民主党もみんな、解釈飽和を起こしている憲法を改正したい。普通の国のように集団的自衛権を行使できる国になりたいと思っている。だがもうすでにそうなりつつある。特措法につぐ特措法で、自衛隊はイラクで後方支援といいながら米軍と一緒に戦争に加担した。橋下のような人たちが言うのは、「今の憲法なんてどうせアメリカに押し付けられたもの、はやく改正してしまえ」だが私が思うのはそれでよかったのではないかということだ。誰が作ったとしても、日本人の生命と財産を守る主目的を掲げた日本国憲法は戦後70年機能してきた。

ここでオスプレイの話になる。
オスプレイ配備の話が出たとき沖縄の仲井真知事は「日米同盟以前の問題だ」と強行に反対したが阻止できなかった。なぜか。それは地位協定にある事前協議の条件は、「(核やロケットのような)重大な装備の変更のみ」となっているからだ。それ以外のオスプレイなどは事前協議なしに米国の一存で決定され、日本はどうしろこうしろと言えないのだ。森本防衛相が「日本は配備についてどうこう言える立場ではない」と言ったのは真実だ。日本の航空法はいかなる航空機も150m以下を飛んではいけないとあるが、米軍は北朝鮮戦を想定しレーダーにひっかからない60mを飛んでいる。東北防衛局長も、オスプレイがどう運営されるのかさえ教えてもらえないそうだ。それが日米安保条約なんだ。野田さんが「安全性を求めている」と言うのは口だけ。彼は自衛官の息子だからどうにもならないのがわかっている。非常に右翼的な政権だ。

さて、オスプレイがどこの基地を使うか?ピンクルートは黒石や大鰐上空を飛ぶ。どれも終点は十和田湖になっているが、途中激しい飛行をしてエンジンを酷使したオスプレイがカタログ通りの航続距離を飛べるか?燃料も半分になったら降りる。どこを使うか?三沢基地だ。これから頻繁に三沢基地にオスプレイが降りるだろう。
日本は今軽空母級の護衛艦を3隻目を建設している。これにオスプレイを搭載し、尖閣戦に備えたいと思っているのではないかと私は考えている。防衛省にそういう計画があるから森本は黙ったんだと思う。

車力村にX-バンドレーダー(北朝鮮のミサイルを監視するレーダー)がある。あれはアメリカが初めて海外に配備したものだ。ミサイル防衛の最大拠点。あそこの軍属(傭兵)が五所川原で暴行事件を起こした。米兵の暴行だって日米地位協定で裁判件がない。オスプレイが危険なのではなく、危険なものを事前協議なしに配備されてしまう日米安保が危険なのだ。

トモダチ作戦をご存知だと思う。あれは実は12万人規模を投入した戦後最大の日米合同演習だ。世界もそう見ている。その最大拠点が三沢基地だ。中国も支援の名の下に三沢基地を視察しようとした。トモダチ作戦でハワイから飛び立ったP3C哨戒機は3月12日には八戸に配備されていた。ものすごい機動力と補給ノウハウ。補給を制する者は戦争を制するのだ。仙台空港のがれきを除去したのも、太平洋戦争のガダルカナル戦でも活躍した海兵隊の優秀な工兵部隊だ。自衛隊にはないノウハウだ。ハワイにあるのはJointTaskForce519(統合作戦本部)であり、今進められている米軍再編の主目的である「48時間以内に世界中どこでも爆撃できる能力・72時間で世界中どこへでも兵員を運ぶ能力」のために作られた。米軍と自衛隊で何ができるかを世界に示したのだ。青森県は実は米軍再編融合化が最も進んだ場所なのだ。

自民党の元幹事長の野中広務が青森に来て小さな農業集会で、「1998年の北朝鮮のテポドンは三沢基地を標的にしていた」と暴露した。北朝鮮は三沢基地の重要性を知っているのだ。野中氏こそ三沢基地の重要性を理解していない、そういう人たちが憲法改正しようとか徴兵制にしようとか言っているのだ。

日米安保の考え方っていうのは、まず最初に憲法を考えなくちゃいけない。憲法が日米安保より上位法規なのだから。日米安保どうのこうの言う前に、憲法が戦後機能してきた事実を考えなくちゃいけない。そうすれば日米安保をどうするのかというのはわかりやすいのではないかと思います。アメリカともっと仲良くなりたい、トモダチになりたい、兄弟になりたいと思っている人たちが「集団的自衛権の行使」や「武器輸出三原則の緩和」、「徴兵制の復活」を訴えていることをどう考えるか。

Q.オスプレイが何らかの理由で配備を中止されたら、アメリカ海兵隊が沖縄に駐留する意義(建前上抑止力)が薄れることになり、アメリカ側でも普天間を返還してグアム・テニアンに移設しようという声があがらないのか?
A.沖縄もそう願っているが現実にそうはならないだろうと思う。リチャード=アーミテージが沖縄の米軍基地の意義を一言「ロケーション」=位置だと発言した。オスプレイがだめでも違う機種を持ってくるだろう。
※要約終了※




日米安全保障条約が上位法規である日本国憲法に違反しています。日本人の生命と財産を守れないからです。米軍の低空飛行やレイプ事件、核の持ち込みが違憲であることを言い続けなければいけません。カネを受け取っていて言えない人やアメリカが日本を守ってくれているから・・・と思い込まされている人がまだまだたくさんいます。というか日本人のほとんどがそう思っているでしょう。テレビや新聞ばかり見ているひとたちです。マスメディアから何も知らされていない日本人がもっともっと、日本で本当はなにが起きているのかを知る努力をしなければならないと思いました。
一つ納得できないのは、米議会は来年の1月で軍事費を含む大幅な予算の強制カットをします。だからオスプレイの配備を急いでいる。オスプレイがだめなら新しい機種とは議会が通らないはずです。オバマ大統領が最も実現したいのは公約のアフガニスタンの米軍撤退のはず。米軍にとっても中国の目の前にある沖縄の基地は近すぎるという声もある。「アメリカが言っているから」と外圧を利用する日本の官僚こそが沖縄に基地を置きたいのでは?
※記事=小山内頼人

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