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2013.10.27 青森県に日本最大の砂丘!? 防衛庁猿ヶ森射爆場を鳥瞰する







青森県東通村に、鳥取砂丘を越える日本一の規模の砂丘があることを知っている青森県民は少ない...
記事=三浦協子

キャプチャ_convert_20131028202117
東西の17キロ、幅約4キロ、日本最大の猿ヶ森砂丘は、昭和34年から防衛庁の実弾弾道試験場とされ、立ち入り禁止区域となっているからである。青森県の太平洋岸には、三沢から尻労にかけて、防衛庁の射爆場が3つ連なっている。この全てが立ち入り禁止なのに加え、当初原発を10基作る計画を持っていた東通原発の敷地が連なるので、青森県の太平洋岸は三沢から以北はほとんど入れないものと思ったほうが良い。立ち入りができないので、るるぶなどの観光ガイドブックや市町村の観光マップなどにも全く記載がない。特別な関心を持たない限り、気がつきようもないのである。







わたし自身、猿ヶ森砂丘が日本一の砂丘であることを知ったのはつい最近である。昨年夏東通を訪れ、尻労の端から砂丘を遠望しその美しさに息を呑んだ。このあたりの地盤は石灰を多く含んでいるそうだが、そのせいなのか砂の色が白いため海がさんご礁の海のように緑色に透き通って見える。打ち寄せる波頭はどこまでも一直線に並んで白く、波は緑、空は青く、浜辺近くまで松ノ木が茂り、さながらこの世の楽園かと思われるようだった。立ち入り禁止は、機密保持のためというよりは、実弾が飛び交う他に不発弾なども出るため、本当に危険区域なので立ち入るなとしているものと思われる。防衛庁の広報誌「東北のかなめ」によると、現在も年間200日に及ぶ実弾弾道試験を行なっている。



131027_215605.jpg
尻労の集落の端からでは、ほんの一部分しか見えない。その一部分だけでも、信じられないほど美しい。このような美しい自然、日本一の自然が、防衛庁に占有されていて、我々県民は、そこに入ることはおろか、その景色を見ることからすら遠ざけられている。これは重大な権利侵害ではないだろうか。一体、射爆場では何が行なわれているのだろうか。猿ヶ森砂丘の全容を、なんとかして見ることはできないものかと知恵を絞った。入れないのなら空から見よう。付近の山で登山道の記載のある山をことごとく探した。

掲載した地図は国土地理院の2万5千分の片崎山の地図である。ご覧の通り、登山道は途中で切れている。東通町役場に問い合わせたところ、『林道はあるが頂上付近にあるツツジの盗掘が酷いため閉鎖している、登山道は手入れもされておらずわからないでしょう』とのことだった。我々は、できるだけ多くの方に猿ヶ森砂丘を見てもらえたらという可能性を最後まで追求したいと考え、まず行けるところまで林道を行ってみることにした。そして、もしダメなら引き返して登山道をコンパスを頼りに山頂まで登ろうという計画を立てた。地図は正確なので、ブッシュがかなり酷くてもいけるだろうと予測し準備した。






PA270035.jpg
東奥日報が1997年に「あおもりの110山」という特集を組んでいる。その中に片崎山も取り上げられていて、『頂上からは砂丘が「圧倒的な迫力で眼前にせまってくる』と記載されている。記事が正しければ、頂上付近に眺望があることになる。しかし、16年も前の記事では、現在は、山頂は低木に覆われてしまい眺望がきかないかもしれない。勤労者山岳会に問い合わせたが、近年は誰も登ったという人はない。
とにかく実際に行ってみなければわからない。
 
東通役場が言っていた通り、林道の入り口のゲートは閉められていた。林道といっても、写真のとおり舗装されている。雑草に覆われた荒れた道を想像していた我々には、予想外の驚きだった。こんなに林道が整備されているとは。林道の途中にはマンホールもあった。水を汲み上げるポンプ施設もあった。 このような立派な道をなぜ作ったのだろう。そして、なぜ使わないのか?林道を進んだ先は牧場で牛がいて囲いがなされていたので、そこから先入るのはやめ、登山道に戻って山頂を目指す。





PA270082.jpg
登山道は・・・。やはり、なかった・・・。
コンパスとGPSを頼りに、1時間半ほど薮こぎする。中間部分は、林野庁が刈り払いをしたあとがある。でも、潅木の切り跡が鋭いので危ない上、山頂手前500mくらいは全く手付かずである。せっかく刈り払いをしてくれるなら、ぜひ頂上までやってほしいという思いがあるが、林野庁には、このような辺地の雑木山林の登山道にまで手をかける余裕はないのであろう。とにかく酷いやぶだった。最も酷かったところは、それどころではなかったので写真はない。






PA270059.jpg
そしてこれが片崎山の山頂の標識である。頂上の標識からいくらか右にまきながら断崖になっている海側の突端の方に進むと、突然眼前に圧倒的な景色が広がった。







山頂の眺望は絶景だ。

PA270081.jpg
砂丘をずっとはずれまで見渡すことができる。砂丘も太平洋も地平線のかなたまで広がっている。海が太陽の光を受けて光っている。 興奮して、何枚同じような写真を撮ったかわからない。
ヘリコプターが1台飛んでいた。今日は日曜であるから、射爆訓練はないのであろう。 砂丘に沿うように道路が見えている。最初我々は最初県道と見間違ったが、この道は防衛庁の敷地の中の道路で県道からは見えない。
中ほどに写っている塔のようなものも観光用の看板かと思ったが、これは防衛庁の施設の一部である。

PA270070.jpg
↑クリックして拡大してください!




この付近には、大沼の他長沼、タカ沼、タテ沼、姉沼、妹沼と5つの沼がある。大沼のほとりに白いボートが写っているのがわかるだろうか。我々は下山して、大沼のほとりまで行ってみることにした。下山も、なかなか大変な薮こぎが続く。




PA270101.jpg
大沼は文字通り大きな沼で、湖面は静か。






登山靴と読図の力と普通の体力があれば、誰でも片崎山には登れる。あの景色を自分の目で見れば、国家が防衛の名のもとに国民から取り上げている自然遺産の壮大な大きさが実感できるだろう。
県民の財産である風景を県民の手に取りかえそう。
 防衛庁が昭和34年に猿ヶ森砂丘を買収した、という記載のある資料をみつけた。
防衛庁は当に買ったのか?青森県は許可したのか?青森県に「猿ヶ森砂丘買収に関わる一切の資料」という情報開示請求をはじめるところから再スタートを切る。

記事:三浦協子
写真:竹浪純
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2013.10.25 行政は意思決定のプロセスを開示しているか

八戸市は庁議の内容を非公開にしています。他の市町村はどうでしょうか?電話で取材し一覧にしてみました。



キャプチャ



これをみてわかるのが、ほとんどが概要のみの記録(発言録なし)で、目的は職員への連絡程度です。八戸市は記録さえとっていません。「記録がなくてあとで困ることはないのですか?」と聞くと「とくにないです」ということでした。庁議は市長・副市長・課長クラスの職員や警察部長などが出席する会議です。そこでどんな発言があったかという記録は、意思決定のプロセスとして非常に重要です。逆に、行政内での不正な方向付けが疑われた場合でも、すべての庁議の録音データや記録文書があれば説得力のある弁明ができます。八戸市の場合その記録がありませんから議員の指摘に対する弁解に説得力がありません。


一方、記録している・記録していないの背景には特段の理由はないようです。議論されてこなかった、言い換えれば需要がなかったということでしょう。議員が行政の意思決定のプロセスの開示を求めてこなかったのです。逆に情報開示や透明性を高めようと努力している自治体もありますね、青森市や五所川原市は明確に「市民への情報公開を目的とした詳細な記録」をとっています。例外としては田子町はきちっとした決まりはないものの、行政職員と町民の壁がなく、日常的にコミュニケーションをとっているため記録が必要ないという理想的なケースもあります。


民主主義の大前提となる「情報公開」を考えるときに、以上のような取材はわたしのような一般市民でも簡単にできます。【市民が需要を生んだときに】はじめて情報公開は進むのかもしれません。情報公開が大切だってこと、わかっていただけましたか?
記事=小山内頼人

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2013.10.25 八戸市桔梗野工業団地軟弱地盤問題の謎 その4

これまでの桔梗野工業団地軟弱地盤問題の記事で、みなさんある程度理解できたでしょうか?

さて、軟弱地盤の利活用を担う事業主を決める際に「デキレース」があったと複数の八戸市議がもらしています。それはどういうことでしょうか?だれかが特定の事業主に決まるように工作をしたということ疑惑が持たれているということですね。それは誰でしょうか?なんのために?


10月4日に八戸市に対して【情報開示請求】を行いました。「桔梗野工業団地軟弱地盤の利活用に関する庁議議事録の開示」を求めたのです。庁議とは、議会ではなく行政のなかで行われる会議で、市長・副市長・課長クラスの職員が出席して自治体の方針などを報告決定する場です。八戸市の幹部クラスの職員がなんらかの不正な方向付けをしたとすれば、庁議の記録の中に不審な発言が記録されているかもしれないと思ったからです。



八戸市の回答は
「請求のあった2012年8月から2013年4月までの機関に、桔梗野工業団地軟弱地盤利活用に関する庁議は1回で、庁議の議事録が存在しないので開示できない。12月議会のために用意した答弁書なら出せる。」というものでした。新聞が「議員の質問に答えていない」と評価した行政側の逃げの答弁書とはこのことですね。




前回の記事で、伊藤のりこ議員は行政の意思決定のプロセスが不透明であると指摘していました。月に一回の庁議であれば開示請求の期間内に10回程度会議があったはずです。利活用検討委員会の招集や結果報告などが考えられるので関連の庁議が一回しかないと考えるのは困難です。議員もアクセスできない非公開の会議で物事が決まっていくのでしょうか?いままさに八戸市長選挙の選挙期間中です。もし市長が関与してデキレースが仕組まれていたなら大問題ですが、庁議の内容も開示できないのであればどのように潔白を証明するのでしょうか?小林市長は「企業誘致の実績」をアピールして再選を狙います。不透明なプロセスを経て決まったダイワエネルギーのメガソーラー事業は企業誘致の実績としようとしたのではないかと勘ぐってしまいます。行政はその意思決定のプロセスを公開しなければいくら言葉で不正を否定しようと説得力のないものになります。
次の記事は県内の他の市町村での情報公開の状況を取材したものを公開します。
記事=小山内頼人

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2013.10.22 三沢基地の騒音被害で集団移転した集落跡を訪ねる

日本は、世界で最も多くの外国の軍事基地が駐留する国です。あなたは知っていましたか? 青森県にも、米軍基地があります。米軍三沢基地です。基地と共存することにはかならず代償がつきまといます。

米軍基地の滑走路の延長線上にあった四目川地区もその一つです。かつて数百戸あった集落は基地の騒音から逃れるため集団移転しました。当時どんな状況だったのかが克明に記された石碑があります。








三沢基地の代償+012_convert_20131023004301
「永劫の里」碑文
四川目移転に題す
 
大地と天の恵みを受け、風雪と闘い、疫病、津波等の天災地変の脅威を乗り越え、繁栄してきた四川目の人々。幾多の辛苦を克服し、汗と涙を両手に地をにじませて築いたくらしを、築いては壊され壊されては築き、栄枯盛衰を繰り返した先人達。

江戸時代・文化七年、木崎野絵図には四川目五軒あり、文化文政の集落開村の主(開祖)小比類巻為左衛門氏、地引き網を建てて二代目嘉七氏に引き継ぐ。同氏豊作大漁祈願、集落安泰のため明治十二年(一八七九年)旧正月十八日四国琴平金刀比羅宮に参詣し、御神体を戴いて四川目に初めて金刀比羅神社を造営した。屋号「ヤマイチ」五代をはじめ連綿として続いた四川目。

南部藩政時代、木崎野牧の一区画であると共に、黒潮に乗ってくる鰮の良い漁場であった。岩手県北部・八戸地方より、この漁場の地引網引き子として季節出稼に来た先人達が住み着いたのが四川目の始まりである。その漁法、腕前がかわれ、明治、大正、昭和の時代、北海道鰊 漁、ロシア領カムチャッカ等において、鮭鱒漁場等で活躍、南部ヤン衆ここにありといわれ、年間数百人が雇われた四川目の男達。

さらに第二次大戦後の混乱期を乗り越え、農漁村として発展した住みよい豊かな四川目。この集落も大戦の終結以後、三沢飛行場に米軍空軍の進駐駐留、我国航空自衛隊の駐在により、頭上を飛行する各種離着陸の騒音に悩まされ、昭和五十四年九月五日及び同六十三年十月三十一日第二種騒音地区に指定となる。轟音と共に軍用機の墜落、爆弾、燃料タンクの誤投下、さらに昭和六十年よりF十六戦闘爆撃機五十機の配備、空母艦載機の夜間訓練(タッチ・アンド・ゴウ)による昼夜の区別なく騒音激化。実に言語に絶する。

この状況から住民の生命財産を守るため、そのつど三沢市を通し日本政府、米国空軍当局に飛行中止等抗議してきた。しかし、昭和五十四年より騒音等に耐えかね、四川目外に移転者が出始め、百五十有余年、一世紀余り続いた町内の人々が散り散りばらばら離散する恐れがあり、役員一同苦慮す。

再三の協議より、昭和六十二年五月二日町内全戸全員の総意により、集団移転やむを得ないと決定。市、区に種々陳情交渉の結果、種々屈折があったが三沢市長鈴木重令氏はじめ関係機関の理解がえられ、住家、宅地等が国の補償により昭和六十三年第一次四カ年八十七戸、平成四年第二次五カ年百五十九戸、計二百四十六戸、市内大津地区に集団移転することに決定された。

国土防衛のため、精鋭軍用機が配備され益々騒音激化し、住民の保護安住のため、断腸の思いで祖先の眠る霊園と鎮守の森産土様(金刀比羅神社)を残し、先人の労苦を偲び、感謝の念を捧げ、苦難哀楽の道を歩んだ四川目を去る集団移転二百四十六戸、各々の都合により市内外に個人移転の百二十六戸、町名変更により他町内に編入された六戸、計三百七十八戸千六百十七名と共に平成九年三月移転完了するにあたり、寝食を忘れ御尽力下された方々に謝念を捧げ、新天地にて共に栄えることを願い、移転者各々が悲喜交々の願い事をし、ある時は大漁旗をなびかせた往時の思い出の地として残した四川目住民の信仰の地、鎮守の森に碑を建立す。
 そして、この事実を子子孫孫に伝える。

大沢武雄撰
平成六年十一月吉日
四川目町内会建立 町内会長 坂岡定松







三沢基地の代償+001_convert_20131023004315
三沢基地の周辺にはごらんの立て看板と、東北防衛局が管理する広大な移転跡の空き地がいたるところに広がる。米軍基地の軍備拡大に伴い騒音は拡大、移転住居も増えた。







まとめ
沖縄の米軍基地の問題はよく目にするけれど、青森県の三沢基地にはどんな歴史があるのかとずっと考えていました。ごく最近この碑文のことを知り、実際に見に行きました。基地との共存にはどこであろうとかならず代償がつきまとうのだと改めて気づかされました。
記事=小山内頼人

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