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2012.8.25 第19回 全国市民オンブズマン弘前大会

 国市民オンブズマン弘前大会報告(1)


 8月25~26日の両日、今年で19回目となる全国市民オンブズマン連絡会議が主催する全国大会が弘前で開催されました。大会テーマは「原発とオンブズマン、まいね!(ダメ)非公開」、全国から約220名が参加しました。

 


基調報告として、全国市民オンブズマン連絡会議が、原発立地道県の原子力審議会の議事録を開示請求した結果を公表、福井など4県が不十分な議事録しか保存していないことなどを指摘しました。



続けて弘前市民オンブズパーソンが、青森県内の原発立地自治体の防災計画について開示請求した結果を公表しました。

弘前からの報告 from yorihito osanai on Vimeo.


あれほどの大震災があったにも関わらず、4自治体のうち防災会議を行ったのは東通村だけであり内容は不開示、残りの3自治体は請求資料は不存在、即ち、会議を開催していないという結果が明らかになりました。

 


記念講演は、京都大学大学院経済学研究科教授の植田和弘氏が「福島原発事故とエネルギー政策」と題して行いました。記念講演の概要は以下の通り。









【記念講演概要】

 政府が公共政策を決定するにあたり国民に議論を呼びかけたことは、前例のない歴史的なことと言える。エネルギー基本計画の枠組みとして、電源構成に於ける原発の比率を2030年までに0%、15%、20~25%まで下げていくという3つのシナリオが「選択肢」とされたが、そもそもこれは2030年という一通過点の比率にすぎず、選択肢に成り得ない。もっと言えば、原発が選択肢たりうるかと言えば、選択肢たりえない。なぜならば、事故が起こらないようにする万全の対策を取ることは不可能だからである。福島原発事故の教訓は、事故は起こりうるという前提で安全対策を講じておかなければならないということである。原発の制御可能性をいう場合には、技術的な面と同時に社会的経済的面と環境的面を考慮しなければならない。

 福島の原発事故は、エネルギー施設と地域との関係を根底から考え直させることとなった。原発の地元というと、事故前は立地している自治体のみをさしていたが、原発がひとたび事故を起こせばその影響は立地自治体にとどまらない。「被害地元」という考え方も提起されている。

 原発による発電は「安価」であるとされてきたが、他電源と比較しても安価であるとは言えないばかりか、事故リスクの上限が定められないので損害保険を引き受けられず、民間企業が行える事業ではない。なので、何らかの保証を国家が与えなければ成り立たない。事故発生時に、どのような補償をどういうルールで与えるかという点をあいまいにしていたということでは、日本は原発を商業的に経営する資格と条件を整えていなかった。また、廃棄物処理の方法と場所が決まっていないという課題は放置されたままである。従って、原発による発電は、選択肢にはなりえない。もんじゅや再処理工場は、実際に動いた期間がほとんどない。廃炉にすれば、そこに投じる予定であった予算を別に有効利用できるという可能性も生まれる。

 再生可能エネルギーは、小規模分散型であり地域の特性が発揮される。再生エネルギーは、エネルギー施設と値域という関係の点でも、地域資源の活用、地域産業の活性化などにつなげることができる。加えて、再生エネルギーは、発電だけを考える必要はなく、素材として活用することもできる。一次産業と再生エネルギー産業との補完関係ができる。

 国民的議論の「選択肢」は、以上のようなことからも、原発比率の選択だけではなく、2030年までと2030年以降のビジョン、社会経済ビジョン、政策実現の手段の選択を加えて行われなければならない。選択に必要な情報は、根本的に不足している。


【特別発言】

 第一分科会は、原発問題がテーマで、100名を超す参加者がありました。立地自治体に対する避難経路の情報開示請求結果等の交流や、オフサイトセンターの実態、立地自治体が想定する事故の規模についてなど、様々な情報開示の結果報告がなされました。

 分科会冒頭で、福島で被災し、青森県内で避難生活を余儀なくされている2名の方から特別発言がありました。そのうちのひとり、二本松市から青森市に避難されている松本理香さんの発言全文です。



(以下、いただいた発言メモより書き起こし)

「私は、福島県二本松市から青森へ避難している者の一人です。原発事故で起こったことをお話したいと思います。うまく話せるかどうか分かりませんが、ご了承ください。

 二本松市は、福島第一原発から50㎞、福島市と郡山市のちょうど真ん中あたりの中通りに位置します。残念ながら中通りは、比較的高い汚染地域、ホットスポットになってしまいました。今も、家の前の通りは、0.6マイクロsvで、これは青森のおよそ30倍の値です。家の中の一番低いところでも、0.2マイクロsvあります。ちょっとお散歩して歩くと、1マイクロsvのところはごろごろあります。目の前の山は、20マイクロsvです。初めは、その値が高いのか低いのかすらわかりませんでした。

 原発事故当時、わたしは臨月でした。2度の流産の末、やっと授かった命でした。私にとっても家族にとっても、どうしても守りたい命でした。中通りに避難指示はありませんでした。汚染地域にも関わらず、ただの一度たりとも子供や妊婦に対しても避難指示が出るときはありませんでした。12日に1号機の爆発、14日に3号機の爆発、次は2号機が危ないと聞いた時に、不安にかられ、15日に一度避難しました。後日、15日は、高濃度の放射性物質が最も高く降っていた日だと知りました。県は、事故当時から知っていたんです。「隠されたSPEDI」も「高濃度の放射線量」も、県は知っていて隠しました。

年間100マイクロsvまでは大丈夫という情報も、「まわりの環境に影響はない」という言葉も、福島県からの要請があったためだとニュースにも出ました。あのSPEDIの情報があれば、福島の子供達は無用な被曝をせずに済んだのに、と悔やまれます。

 我が家は、住宅設備を扱う自営業です。地震で断水しているお宅も多く、家族総出で修理にあけくれました。私が避難したいと話した時も「困っている人を残しては行けない」と主人は二本松に残りました。私一人で大きなお腹を抱え、「お父さんが死んじゃう」と、不安に泣き叫ぶ当時小5の長男と、何が起きたのかわからずきょとんとしたままの小2の次男を、帽子、手袋、ジャンバー、マスクは2重にさせて中に濡れたテイッシュを入れて、完全防備で車に乗せて避難しました。仙台にいる義理の弟の所までガソリンがもつかわかりませんでした。少しでも早く、少しでも遠くへ、と、後ろから迫ってくるものから逃げる不安と恐怖は言い表しようがありませんでした。仙台からは、弟の車に同乗させてもらい、青森まで12時間の移動だったと記憶しています。

この避難は一度目でした。4月から学校が通常通り始まったので、長男、次男は福島に戻りました。私は青森に残り出産。あんなに望んでいた命でしたが、出産できた喜びよりも、毎日福島で過ごす子供達のことを思い、泣き、病院のベッドの上でニュースにくぎづけだったのを思い出します。長女を産んで2~3ヶ月後、私も生まれたばかりの赤ちゃんを連れて二本松へ戻りました。

そこで、すごく違和感を感じたのです。放射能のことを口にしてはいけないような空気が、もう既に出来上がっていました。声をあげるとすぐ「不安をあおるな」と言われました。ご存じの方も多いと思いますが、原発事故後にすぐ「安心、安全」の講演会を福島各地でしてあるいた人がいました。山下俊一です。福島県放射線リスクアドバイザーとして、当時長崎大学の山下俊一教授が招かれて講演をしてあるきました。問題発言の多い方ですが、福島県民の多くは、未だにこの人の言うことを信じている人が多いです。彼の発言はこうでした。「子供も妊婦も100ミリsvまで大丈夫、何の問題もない」「年間20msv以下なら布団を干しても大丈夫」「3.8マイクロシーベルト/h以下なら幼児の生活上、何の問題もない。家の中でストレスを抱える方が健康に良くない。どんどん外で遊ばせなさい」しまいには「放射能は笑っている人には来ない」とまで言いました。

小さな子供を持つ親たちが署名活動までしてこの山下俊一に「県のアドバイザー」を降りてほしいと望んだはずでした。ところが、彼は今、福島医大の副学長の座に納まっています。なぜでしょう?小さな子供を持つ県民は、彼を信用していないのに、なぜ「アドバイザー」から「副学長」になるのでしょう。私には、山下の言う事が、「子供達にどんどん放射能を浴びさせなさい」と言っているように聞こえます。「そして、そのデータを私に寄越しなさい」と言っているように感じます。福島の子供達をモルモット化しているようにしか思えないのです。

現に、福島医大のすることはおかしい。内部被曝検査も甲状腺検査も、うちの子供達は1年3ヶ月~5ヶ月たった今頃やっと案内が来ました。特に甲状腺検査は、エコー写真ももらえません。データや数値を知りたいと医大に言うと、戸籍謄本の提出が必要だそうです。しこりやのう胞が見つかっても「大丈夫」と言われるだけで、次の検査は2年後です。セカンドオピニオンをしたくても、福島県から調べるなと各病院へ圧力がかかっているそうです。なぜ、山下にここまでの権限が与えられ、なぜ、県は黙ったままなのでしょうか?相当な力が働いているとしか思えないです。

福島では、「放射能はあびればあびるほど体に良い」「中国の核実験の時の方が、放射性物質が多かったのだから大丈夫」というお医者さんも、今もまだ多いです。私も、2度目の避難(今年の4月から青森に母子避難している)を決めた時に言われました。「引っ越しで子供達に与える心的ストレスの方が、放射能よりも何倍も悪影響だ」

私は、お医者様を信用できない。あの福島で生活することは、とても難しいことだと思っています。今も、友人達が食べ物に細心の注意を払ってあの福島で生活しています。どうか、知って欲しい。事故は収束などしていません。何ひとつ変わっていないのです。福島では話せない小さな声を聞き取って欲しいです。

 二本松は、原発事故後避難民の受け入れ先となりました。何十機ものヘリコプターが低空飛行で飛んできては飛び去って行きました。その光景は異様でした。私たちが避難している先は、青森駐屯地の近くです。ヘリコプターが飛ぶたびにあの日のことを思い出します。たくさんの救急車とサイレンの音、二本松の空をたくさんのヘリコプターが埋め尽くし、旋回しながら着陸するのを待っていました。そのヘリコプターが降りた先は、私の息子達が通う小学校の校庭でした。不審に思った父兄のひとりが、表土をはぎとって土の汚染を測定してもらったそうです。その値は、㎏あたり90万ベクレルという驚愕の値でした。「そこに住んでいる人はいませんよね?」と言われたそうです。学校の校長先生に伝えると「何で勝手にそんなことをするんだ」と逆に怒られたそうです。何度も言いますが、二本松市はただの一度も避難指示は出ていません。今も、小さな子供、妊婦さんが暮らしています。一時保養の話もありません。福島のことを思ってくださる一般の方のボランテイアのみ、子供達を受け入れてくれています。まだまだ隠された情報、闇に葬られた表に出てこない情報があると思います。福島で起こったことを、もう二度と起こして欲しくない。同じ思いをする人があってはならないと、福島の人たちは思っています。先ほどのお話から、福井もこの青森県も、安全神話から抜け出せないでいる、避難経路も情報公開もなされないのは、原発事故から何も学んでいないと感じました。

原発がある限り、事故の検証がされもせず再稼働する限り、また同じような事故が必ず起こると思っています。原発があることが良い事なのか、どうかもう一度考えてください。そして、福島を忘れないでください。最後まで話を聞いていただき、ありがとうございました。



  • 第3分科会の報告は、(2)にて行います。

文責 三浦協子

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