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2013.01.19  「あさこはうす小笠原さん涙の朗読 母熊谷あさ子さんの嘆願書」 ~第14回青森県高齢者大会分科会2「原発問題」~

 1月19日、青森市内にて行なわれた第14回青森県高齢者大会分科会2「原発問題」に、大間あさこはうすの小笠原厚子さんが報告者のひとりとして出席された分科会には約60名が参加していた。

 小笠原さんは、大間原発が計画された1976年から今日の工事再開以後のことまで、大間原発に関わって見聞したことを自らの経験として報告された地元に投入された原発マネーの巨大さを実感される例として、小笠原さんがひかれたのは、大間で毎年開催されるブルーマリンフェステイバルの花火大会の様子である地元の商工会議所が1万円、2万円とわずかな寄附をして行なわれるこの地元の祭りの宣伝チラシの半分が、電源開発(Jパワーの旧称)で占められているのと、原発計画前は、5分に1回程度しか上がらなかった花火が、電力会社の参入以後、これでもかこれでもかと言わんばかりに派手に打ち上げられるようになったということである。

また、原発交付金で建設されたもの、という一覧を持参されていて、大間小学校、大間幼稚園、海洋保養センター、病院、消防署、ウイング(※)、養殖育成センター、道路、と、「大間のほとんど全てに」と小笠原さんが表現されたが、文字通り生活に関わるほとんど全てに使われていると話された「この状況が、10年、20年、30年、40年と続けば、大間は、それから逃れられなくなってしまった。それは当然のこと漁業補償金も、1軒1軒に配布されるのではなく、まとめて漁協に渡されて、漁協が個々の漁師の通帳に振り込むという形を取るため、1軒だけ返金したいと申し出ても受け付けられなかったのだそうだ。返すなら、何十億円の金をまとめて返してくれと言われたそうである。

 また、むつ市から大間に向かう国道沿いにウイングという道の駅のような施設(※)があるが、小笠原さんも知っているある方が、そこで写真展を行ないたいと館長に申し出たところ、
「あなたは、大間原発に賛成ですか?反対ですか?この施設は原発推進の方しか利用できません」と言われたということであったこの方が企画していたのは、被曝者の写真展で、直接原発と関わりはないものの、核の問題を批判的に扱っていると判断され、許可されなかった。

 熊谷あさ子さんが地元で漁業に従事していたからこそ知りえる情報として紹介されたのは、大間原発の敷地となった畑の所有者176名のうち熊谷さんを除く175軒が土地の売却に同意したというところで、土地は確かにその人のものだが、その人の子どもがどこへ行ってしまったのかゆくえがわからないという家が何軒か含まれており、あの家が土地の書類に判をつくわけがない、土地を相続する息子の行方がわからない筈だからだ、と熊谷さんが語っていたというくだりである。熊谷さんは、電源開発が売却の書類を捏造したのではないかと疑っていたということであった。

 熊谷さんが、売却を拒む最後の一人となったのが2001年、「共有地裁判」と呼ばれる、所有地に至る道路を使用する権利を巡って争われた裁判で熊谷さんが敗訴し、2003年には根負けした電源開発が、熊谷さんの土地を避ける形で計画変更を発表した。2001年から2003年までの間、熊谷さんには電源開発のストーカーがついてどこへ行ったか誰と会ったかを四六時中見張られていた他、地元の人たちにばかりか親類縁者にも熊谷さんとはつきあうなという誹謗がなされ、孤立無援、村八分という状況であったそうであるそのような中、熊谷さんが亡くなられた2005年5月のちょうど1年前に、熊谷さんが県知事に宛てて出した「嘆願書」が、小笠原さんによって朗読された。
「母が、これをどのような気持ちで書いたかを考えると・・・」と、小笠原さんは声を詰まらせた。県知事に大間原発の稼動を許可しないで欲しいと訴えた「嘆願書」には、自然への敬意と「宝の海」からの恵みへの感謝、子どもたちへの愛が飾らない言葉で綴られており、朗読の終わりには、会場から温かい拍手がわいた。

 小笠原さんは、熊谷あさ子さんが、歌が好きだったのであさこはうすのある畑にムラの年寄りを集めてカラオケをやりたいと話していたこと、子どもたちは自然の中で遊ばなければいけない、この場所がそういう場所になれたら、と話していたことが、今、自分の目標となっていると話された。その目標に向かって、あさこはうすで動物を飼い、自家発電で生活できるようにするための準備を進めておられるそうである。そして、小笠原さんは最後に、
「わたしの小さな小さな運動ですが、小さいことの積み重ねがやがて大きなうねりとなります。わたしの母はひとりでがんばってきました。ひとりの力は大きな力です」と話し、報告を閉じられた。

※記事=三浦協子
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